ネット発信・活動で自分や本音をさらけ出すということ
SNS疲れでSNS運用をやめ、個人サイトに舵を切って感じた唯一のデメリットが「自分を出しづらくなった」というところです。
個人サイトは自分の家とも表現されます。
自分ちだからこそ整理整頓にこだわり過ぎてしまうとでもいいましょうか。
綺麗なコンテンツだけ置いておきたい気持ちが強く出てしまうんです。
混じりけも汚れもないクリーンな場所でありたい。
それゆえにだんだん気軽な投稿がしづらくなっていきました。
これまではSNSでそのバランスを取っていたように感じます。
SNSは自サイトから離れた場所にあるからこそ、執着が薄れていたような気がします。
そこで居心地良さそうなSNSを探して回ってました。
個人サイトという自分の家を飛び出して旅に出てました(?)
でもどこも結局、人と情報の波に飲まれていくばかりだったんです。
また個人サイトに戻ってきて思うこと。
自分の空間で自分を出すことは必要なことなのかもしれないと。
理想の矛盾
こんなことを気にしつつも、私自身は誰かの「ありのまま」「本音」というものに何度も共感し、救われてきたものです。
取り繕うことも、飾ることもない等身大の言葉というのが時に刺さり、心をもみほぐしてくれるのです。
そして自分もそんな存在でありたい、とどこかで思っています。
それで誰かに届くものがあれば、それが一番嬉しいことなんですよね。
なのに綺麗な言葉であることにこだわりすぎてしまうのは、根本的にあるのは人目が気になるという、理想とはある意味矛盾した感情ゆえのことなのかもしれません。
自分や本音をさらけ出す
そんな執着がある一方で、こんな体験談を目にしたことがあります。
「自分をさらけ出すようになって明らかに反応が変わった、共感の言葉をもらえるようになった」
その方のありのままの記事に何度も救われてきたのは確かで。
なんだかこの悩みは取り越し苦労なのかもなぁ…と最近思い始めました。
きっと自分が思ってるほど悪い発信はしてないし、そもそもそんなに気にされてもないのかもしれません。
指摘されたならされたなりにそれから修正していけばいいし、起きてもないことにあれこれ悩んでもそこには全く根拠がないんですよね。
最善を目指す気持ち、向上心もそれはそれで持っていていいのかもですが、その努力の方向性は取り違えないようにしたいものです。
それに「ネガティブは発信を避けること」と「自分を押し込めること」はイコールににはならない気もします。
誰かに不快に思われないようにとネガティブな書き方を避けるのは自然なことですが、そのために文章内に自分がいなくなるのはズレているのかもです。
発言に気を付けながらでも、自分の本音を書き出すことは可能なんだと思います。
最後に
ネット発信、活動で自分をさらけ出すことについて考えてみてみました。
ご覧頂きありがとうございます。
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