ブログ読むだけの人はきっと利益の有無でブログを判断してない
どうも。
ブログ運営の情報に対して常々抱いている疑問があります。
「溢れかえるブログ論は読者ファーストではなく、収益ファースト」なのではないかと。
読者目線という言葉と合わせて
「有益な情報を書け」「日記はNG」「主観より客観で書け」
なんて発信をよく見ます。
しかしこれは読者のためだけを思った理論ではなく、収益のための理論なのではと。
今回は「読者が本当にブログに求めるもの」について書いてみます。
きっと読者は利益の有無でブログを判断してない
「こんなブログは無益だから稼げない」的な理論。
「有益なブログが正しい」と思わせるかのような発信。
これらは稼ぐためには最短かもしれませんが、決してそれだけでブログの価値は決まりません。
「稼げるブログ」と「読者のためのブログ」は必ずしもイコールにならないんです。
たとえ自分自身の利益になる情報がないブログでも、人は読みます。
なぜ人はわざわざ個人のブログを読むのか?
それは共感、楽しさ、感動があるからです。
多くのブログ発信者が「書くな」という「日記ブログ」だって、立派な価値があるんですよね。
同じ好きを持ってるから共感出来た、同じことに悩んでる記事だから救われた…
私もよくこういうことあるんです。
もちろん有益な情報を求める状況だってあります。
でも一方で共感や面白みだけを求めてブログを読む状況もちゃんとあります。
どちらが正解、不正解とかじゃなく、ブログに求めることはその時によって様々ですから、臨機応変で良いと思います。
しかし気になるのは、稼ぐために発信されているブログ論の多くは「無益だから」「有益だから」のみでブログを語ってる点です。
読者はきっと言う程「益」の有無だけでブログを判断していません。
それよりも個人的には、個人ブログなら尚更、「好きか嫌いか」「合うか合わないか」ですかね。
収益化するのは決して悪いことではありませんが、訪れた読者を「有益か無益か」だけで判断するのはいかがなものかと思う部分があるんです。
私が読みたいブログ
私が最も好きなブログは「主観と客観のバランスが取れたブログ」です。
共感できるし、面白くて、でも役に立って。
そういう記事を書くのって、言葉にすると色んな要素を兼ね備えたような難しいことに思えるかもしれませんが、実際はそんなものでもありません。
ただ自然体なブログ記事が欲しいというだけです。
「○○のやり方」なら「実際にこうやってみた」って具体的に書き綴るだけでも、「やる方法(客観)」と「やった感想(主観)」が同時に得られるんです。
つまりこだわらず普通に書いていれば、多分両方の情報が入ります。
これを「主観は無益だから」とそこだけ省いてると、何か物足りない記事になっちゃうんですよね。
最後に
色々書きましたが、「そういうブログ論が間違ってる」という言いたい訳じゃなくて、ただそれに誤解を与える要素があるのではないか?という話です。
「稼げるブログ=正しいブログ、読者のためになるブログ」
「稼げないブログ=間違ったブログ、読者のためにならないブログ」
という印象を与える発信があまりに多いんです。
別にただの日記でも、誰か一人にでも刺さればそれって読者のためになってます。
どう書いたとしても、誰の何のためにもならないブログなんて存在しないんじゃないですかね。
稼ぐための近道としてそういう発信を取り入れるのは全然悪いことじゃないですが、それがブログのあり方だと鵜呑みにして、読者が感じる個性と筆者が感じる自由を奪うのはもったいないことだと思います。
私自身そういうのに囚われて、一時期何も書けなくなってたんです。
「こんなの書いても仕方ないよな…」とか思って…
でもアクセス解析で「夏嫌いで冬好き」「コーヒー苦手で飲めない」とかいう雑談ほど伸びやすいこと、コメントや拍手率も高いこと、
日記ブログ書いてた頃もただ思ったことを殴り書きした記事がコメントもらいやすかったこと…
そういうのを見たり思い出したりしてから思うようになりました。
「読者にとって本当に大切なのは利益じゃない」と。
収益化も必要なことかもですが、たまには肩の力を抜いて書いたくらいが、読者のためになる。
ブログ執筆に行き詰ったときは思い出してみて下さい。
ご覧いただきありがとうございます。
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