趣味はモチベがなくてもできるものなのか…やる意味を失うとどうなる
どうも。
元々無趣味が悩みで、でも飲み物と音楽でくつろぐ時間が至福とか、ガーデニングブログ見て回るのが息抜きとか、まったく1分2分も潰せないほどやることがない訳でもないんですよね。
ただ少し心配なのが例えばガーデニングは仕事のためにやってること、それがモチベーションになってるということです。
そういうやる意味を失ったとき、私は花好きでいられるのだろうか?ガーデニングしてるのだろうか?と今の趣味を失う不安もあって。
今回趣味はモチベーションがなくてもできるものなのか?みたいな話してみます。
趣味にモチベーションは必要なのか、それを失うとどうなるのか
趣味にモチベーションが必要か?は趣味の種類によるんでしょうね。
アニメやゲームとかは「楽しい」という感情そのものがモチベですので、深く考えなくてもサービス終了したり飽きたりしない限り続きます。
でも楽器、創作活動、ガーデニングとか起こす行動が大きい趣味…とでもいいましょうか、簡単でないものは多少のモチベーションが必要な気がします。
というのも元々ハンドメイドしてたのですが、それを販売という形にしたとたん、趣味でいられなくなったんですよね。販売がモチベーションに変わったんです。
そしてそれも無理してやってたら限界が来てやめて、それからハンドメイドはしようとしてもできなくなりました。成果もなくただ楽しいというだけで作るのにむなしさを感じるようになって。
楽器演奏もモチベーションがなくてやめてます。
最初はただ楽しくて弾いてたのですが、今は音楽制作・販売というよりはっきりと目に見える成果が生まれるようになってから、成果の見えない楽器演奏に対するモチベーションがなくなって。
多少心身にストレスがかかるような趣味、継続が必要な趣味とかはモチベーションの有無でできるかどうかが変わる気がするんです。
ガーデニングとかもただ楽しいというだけではできないくらいには手間があり、写真素材の撮影というモチベーションをなくした時、例えば写真素材がそろい切ったとき、それでも花好きでガーデニングしてられるのかと心配ではあります。
それでも好きなものは好きなのかも
ハンドメイドについては限界感じてやめたとは言いましたが、それでも今もハンドメイドは好きだしハンドメイド作品への愛着はあります。
SNSやブログで作品を見て回るのは楽しいし、買いたくもなるし、作家さんと繋がるのも好きだし。
一度好きになったものを、やめても好きでいられるかって分からないことだなと思います。
ハンドメイドは好きとは言ったけど、他で言えば離れてから完全に飽きた趣味も存在します。
アニメやゲームにハマってた時期、色んな作品に次々ハマり、大好きでいたのに、今は慣れても愛着が消えてない作品は1つだけ。マイブームがあったのは5~7作品くらいあったはずなのに。(その数ははっきり把握してないですが)
離れた趣味でも好きなものは好きだ、と言えるもの、離れてしまえばそれまでなもの、両方存在するのですね。
だから今の好きな感情を失う可能性があることに、寂しさを感じます。
花はずっと好きでいたいんです。
趣味を作り、失いを繰り返して思う、趣味のあり方と大切さ
個人的な傾向として、成果をモチベーションにしてることって、それがなくなったとたんやめることが多い気がします。
ただ楽しくて好きなだけの方が、又はそうあれた期間の方が、長続きする傾向ある気がします。
趣味ができては失って、それを繰り返してきて思うのは、ただ軽い気持ちで楽しめることも必要なんだなと。
飽きるのは仕方ないにしても、やりたい強い意思だけでやってできなくなって、結果離れていくってなんだか寂しいですもん。後悔や未練とも違う、よく分からない感情だけ残ります。
趣味はモチベーションがなくてもできるくらいの気楽さも大事。そう思います。
力入れ過ぎて力尽きてやめてきたことばかりで、結果無趣味の生活のむなしさを痛感して、残ったのはぽっかり穴が開いた過去と無理や焦りが生んだ黒歴史だけ…
目標などのモチベだけで無理してやろうとすることになんのメリットもないです。
趣味だとしても、私みたいに個人でやってる仕事だとしても。
趣味ならなおさら、とにかく気楽にやることなんでしょうね。
最後に
趣味へのモチベーションについて書いてみました。
この記事の結論を言うなら、モチベーションが不要なくらい気楽にやろう、ですかね。
楽しいだけの感情も必要なのかもです。
ご覧いただきありがとうございます。
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