アニメやゲームに没頭できることがいかに素敵か【オタクと推し活】
アマプラで流行りのアニメをなんとなく見てみた。
主人公が思ったより好みで何話か連続して見た。
4~5話ほどで飽きてやめたけど、なんだかいつもと違う満足感を感じた。
元々無趣味の私、この体験でいかに娯楽を失っており、没頭できるものがないかを痛感しました。
普段は散歩、園芸、お茶する時間を息抜きに生きてます。かろうじて趣味。
しかし没頭できるものがないんです。
そんな毎日の中でアニメを集中してみるという体験をして、何とも言えない、満たされたような感じがしました。感動すら覚えました。
アニメやゲーム、漫画は依存の危険性が語られたり、そういうものに没頭する人への偏ったイメージが存在したりとネガティブな側面も持ってない訳じゃないです。
でも私からしてみればオタクと呼ばれる方や推し活に没頭できる方は憧れだし、本当に素敵なことだなと。
今回アニメやゲーム、漫画に没頭できることがいかに素敵か、語ってみます。
無趣味がアニメを見てみた結果
無趣味がちょっとした悩みの私。
10代の頃はアニメやゲームに夢中になってた時期もあったけど、今の活動を始めてからそれどころでなくなり離れました。
好きだった音楽や写真も仕事という位置づけになってから趣味と呼べなくなり、純粋な楽しさを失いました。
「好きを仕事にする代償に好きを失った」ような感覚。
それからというもの娯楽を楽しむ習慣がなくなったからなのか…アマプラとかでアニメをどれだけ見ようとしても面白くないし、久しぶりにゲームをしようとしても何も感じなくなってました。
そんな生活が続き早2年。
これほど好きも嫌いも感じず心揺さぶることなく過ごすのも悪くないと思い始めていたとき。
最近よく耳にするアニメを「流行ってんだなー」という気持ちで再生してみたら。
主人公がちょっと好みで数話連続再生しました。集中してアニメを見るのは珍しかったのですが。
数話で飽きてやめたのですが…その後の何とも言えない満足感に感動を覚えました。
「これが何かに夢中になるという感覚なのか…」と。
オタクであれるすばらしさ
それはアニメでもゲームでもいいし、鉄道でも人物でもいいのですが、夢中になる、没頭する存在があるって本当に素敵なことなんだと思います。
推しを持ち、本気で追う事、それが日々の活力と癒しになる。
思えばアニメに夢中になってた一時期、推しのことしか見えてなかった時期…同時に一番辛い時期だったのですが、なんだかんだそのアニメが心の支えになってました。
今になって失った「活力」の2文字…その感覚が一瞬蘇った気がします。
同時に現実に戻された時、自分がいかにむなしい毎日送ってたのか思い知らされた訳ですが…
胸を張って好きなものを好きと言えること
本気で好きなものを持つこと。その素晴らしさを今になって感じます。
私が過去にアニメに夢中になってた時期、周りからは白い目で見られてましたけどね…
今思えばどう思われても譲れないものを持ってた、幸せなことだったのかもです。
そんな今の私だから言いたい、今の「好き」は大切にしてください。本当に。
最後に
無趣味がアニメを見た結果覚えた感動を記事にしました。
ご覧いただきありがとうございます。
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