創作活動における承認欲求、見てほしいというより届けたいのかも
創作活動してると切り離せないのが承認欲求というもの。
褒められたいとか認められたいと感じてる方は多いのかもしれませんが、私はそれらが苦手です。
注目されたり称賛されることが負担・プレッシャーになってしまうんです。
でも承認欲求に近い感情がないわけでもなくて、それはきっと「褒められたい」「認められたい」じゃなくて「誰かに届けたい」気持ちなのかなと。
そんなお話。
見てほしいというより届けたい
自分のコンテンツが誰かに届き、誰かのためになるなら、それが一番創作者冥利に尽きるというものです。
自分自身への称賛とかはいらないんですよね。
ただ誰かに届くこと、例えば音楽が癒しや救いになること、記事が役に立つこと、ゲームコンテンツであっても楽しみになること、それが一番の喜びみたいです。
「自分が認められるための創作活動」より「誰かに届けるための創作活動」を目指すということ。
それは自身のコンテンツを磨き、追求するモチベにもなりますし、なんだかそっちの方が幸せに感じるんです。
伸びなくていい
例えば動画サイトやSNSでの再生数、そういうのは本当に欲しくありません。
最近もYouTubeが少し伸びて、それ自体がプレッシャーになって挫折したくらいです。
注目や称賛が負担な身としては、SNS系での伸びというのはストレスでしかないんですよね。
そんな「広く浅く」な届け方より「狭く深く」届けたいと考えています。
万人の目に留まらなくても、1人2人にとってかけがえのない存在であれるのならそれで十分なのかなと思います。
だから
そんな考え方だから、受けを狙ったり流行を狙ったりは基本的にしてないのかもです。
まあ流行に関しては疎いからというのもありますが。
自分の本気で届けたいものを、熱意を込めて作っていれば、きっと関心・感性の近い誰かには刺さると思うんです。
バズるとかでない、そういう届き方が一番の望みです。
私がSNS向いてない理由はたくさんありますが、そういう要素も少なからずある気がします。
最後に
創作活動における承認欲求について書いてみました。
ご覧いただきありがとうございます。
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