個人の雑記ブログ、PVが激減してSEOをやめる踏ん切りがついた
検索エンジンに記事単位、またはサイト単位で載せる施策、SEO。
これに必要なことは記事の質、キーワードの選定、被リンクなど様々。
基本的には有用そうな記事、サイトだと検索エンジンに評価されることで載ります。
で、これにとらわれてブログ記事が自由に書けなくなった時期は本当に長かったです。
今の今までそうでした。
日記記事は有用でないと評価されることが多く、書きづらい。
記事と情報のボリュームを気にすると文字数や構成を気にしてしまう。
SEOに弱そうだと自分で思った記事やネタはことごとく捨ててきて、ネタ切れに。
そうして書くことを取捨選択するうちに何も書けなくなって、ブログ書く意味を見失ってもいたんです。
だからといってSEOを気にせず書くのはアクセスを失うようで怖くて。
でもここ1週間くらいでしょうか、ブログPVが激減しました。
1日のPVがピーク時最大3桁→現在最小1桁といった具合。平均的にはピーク時の1/10くらい。
これは検索エンジンの仕組み(=アルゴリズム)が日々更新されてるため、その影響を受けたのかもしれませんし、その他の要因かもしれません。
でもそれで良かったのかもしれません。
やめたかったSEOをやめる踏ん切りがついたのですから。。
SEOをやめる踏ん切りがついた
元々素材や商品の宣伝のために、自分を知ってもらうきっかけのために、書いてきた当ブログ。
でもその必要性が薄れてきて、必死に記事を書く必要もなくなったんです。
それなのにSEOによるアクセス対策をやめることは怖く不安で、またSEOを2年と気にしてきたせいか、何も気にしない記事の書き方も分からなくなっていました。
検索ワードを気にして含めてしまう、情報の結論を含めて書いてしまう。
それ自体が悪いことではないし、それはそれで人が見ても読みやすい記事にもなるでしょうけど、一番にそのせいで執筆の自由が奪われてたんです。
日記のように何も気にせず記事を書くことにずっと憧れてたけど、そのやり方も分からず、ブログの方向性も見失って途方に暮れてました。
ブログアクセスの激減は、運営においての向かい風ではなく、追い風でした。
「こうなってまでSEO気にしても意味ないか」とSEOをやめる踏ん切りがついたことで、記事が書きやすくなったんです。
ブログ運営に必要だったもの
SEOの呪縛から解放された今。日記ブログに憧れてきた過去。
でも今の気持ちとしては、ブログの方向性を「完全な日記」や「取り留めない記事」に変えるつもりは特にありません。
これまで通り書いていきたいです。
なぜならやっぱりある程度情報や結論はあった方が読みやすいし、それが誰かの共感を得たり、誰かの役に立つかもしれないから。
それに今更日記の書き方なんて分からないし、何もない毎日なので書くこともないです。
本当に求めてたのは「囚われずに書くこと」で、「取り留めなく日記を書くこと」じゃなかったのかもと思いました。
ただ検索エンジンのためでなく、誰かのためになることだけを、囚われずに書いていく。
そんなブログであれたらと思います。
当ブログに必要なのは数や検索ボットからの評価といった無機質なものじゃない。
本当に好きでいてくれる誰かに、心に刺さる誰かに、求めてる誰かに…届けていくことなんだと思いました。
今や数も成果もいらないから、書いたことと求めてる事がぴったりフィットする誰かのためになれば、それが一番の喜びなんだと思います。
ブログ記事って作品
他の方のブログを読んでて思ったのですが、私は「ブログ記事というメディア」ではなく「ブログ記事という作品」とも取れるような、その人らしい記事に惹かれる傾向あるようです。
小説にストーリーを求めるように、本に情報を求めるように、当たり前にブログに求めてきたのが個性。
その人の考え方や感情、人柄に触れられるようなブログが好きでした。
私の憧れはSEOで伸びる記事でも、自由気ままな日記記事でもなく、そういうものに変わってきた気がします。
そもそもSEOに囚われる必要があるアフィリエイターじゃないのですし、一人のブロガーとして、ブログ記事という作品を、エッセイを届けていけたらいいなと思います。
最後に
SEOをやめる踏ん切りがついた。
アクセス激減というブログ運営の追い風のお話でした。
ご覧いただきありがとうございます。
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