日記に憧れたブログ、一周回って情報記事が書きやすかった
ずっと日記ブログを書くことに憧れてました。
ここでいう日記ブログは思いや出来事を好きに書き出すブログのこと。
しかし
「有益な情報を書け」「日記は書くな」「無益なブログは誰も読まない」
そんなブログ論に振り回された結果、何も書けなくなってなっていました。
日記ブログは有益な情報だけでない、素の感情だからこその共感性、個性といった価値を持つとずっと考えてきましたし、今もそう思います。
ただ有益なだけじゃ読者は楽しめないと思うんです。
だけど…
一周回って、いや何十周でも何百周でも回ってきて、結局は情報を書いていくのが気楽なようにも思えてたんです。
個人的なブログとの向き合い方について書いてみます。
日記ブログを書けなくなった過去
元々はSEOを気にし出し、稼ぐ系のブログ論に触れたのがきっかけです。
そのためのネタの取捨選択を繰り返すようになりました。
思いついたネタを「検索に載りにくそう」を理由に取捨選択し続け2年も経つ頃には、ネタが何も浮かばなくなりました。
浮かんでも「これはダメだ」とすぐ捨てます。
そんなSEOへの囚われは、いつしか人目への囚われに変わっていきました。
「これはSEO的に微妙だな」「これは検索に載らないな」が「これは人が見てもしょうもないな」に変化。
そして最終的に行き着いたのは「ありのままをさらけ出すのが怖い」「感情を吐き出すのが怖い」「素を知られるのが怖い」という感覚でした。
実際は素の感情ほど共感できるものなはず。
私自身たくさんそういう経験してきたし、自分の記事にもたくさん共感して頂いてきたのにですよ。
それも過去の幻想のように感じちゃうんですよ。
SEOやブログ論は一度踏み込むと二度と抜け出せない底なし沼なんだなと感じた出来事です。
情報書くのが無難に感じて
ネットで拾った情報を書くのはさすがにオリジナリティなさすぎるとして、それなら「体験談を元にした情報」を書くのが一番無難だと感じるんです。
まあ言うなら備忘録のようなものですかね。
自分自身で気づいたことを書いていく。
別にそれは誰かの役に立つし、ブログに日記だから・日記じゃないからの良し悪しなんてないし、良質な情報ブログもいっぱいあるし、それ自体は良い事だと思います。
しかしやっぱり、本来望んだブログの形でないことへの心残りはありますね。
最後に
愚痴のような記事になっちゃいましたが、しばらくはこうして本音を書くこともなくなるか、減りそうです。
ご覧いただきありがとうございます。
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