物事を続ける方法って結局は心地よさを追求することだと思う
「物事を続ける方法」で検索してヒットするテクニカルなこと。
でも現実的にはこれを実践しようとすると、その意識自体に疲れてしまいませんか。
何かを続けるには結局「心地よさを追求」するしかないんだろうなと思ったお話です。
物事の続け方
これは「継続できたことがある」という成功体験より「何事も続かなかった」失敗体験の方が多いから語れることだと思います。
自分の心に馴染まないことはどう足掻いても1年と続きません。
勉強だったり絶対必要なことなら話は別なのかもしれないです。
それは習慣化などの一般的な方法が使えると思います。
でもそれが必須でないこと、趣味に近いことになると続けるもやめるも完全に自分の意思。
こればかりは自分に馴染まないと続けられないです。
「好きこそものの上手なれ」とも言えるのですが、ただの「好き」だけでは意外と不十分だったりします。
その「好き」には熱しやすく冷めやすい熱も含まれてますから。
一時の情熱で走り抜けても燃え尽きるだけなんですよね。
そこで大事になってくるのが「心地よさ」という感覚だと思います。
私が過去に挑戦してきたことの9割は挫折しています。
それらはどんなに楽しくても、好きでも、どこかに違和感のようなものが混じってました。
「なんかちょっとつらい」「本当にこれでいいのか疑問」「漠然と何かが引っ掛かる」
こういう感覚が1ミリでもあることは何年単位で見ると続いてきませんでした。
ハンドメイド物販も、多くのSNSも、特化ブログも、有償依頼受注も、ゲーム動画投稿も…
共通してこの感覚があったんです。
逆にこれまで続いてること、音楽、写真、雑記ブログ、個人サイト運営はこういう感覚は一切ないんですよね。
心に馴染む、フィットするような感覚があります。
モチベや目的意識、承認欲求に頼らずとも。
意味とか利益とか求めずとも。
ただやりたいというだけでやってられる。
これが続くことの共通点なのかなと思います。
続くことに出会うまで
心地よいことが続けられるのだとして、実際にそれはどうやって見つけるのでしょう。
実は今続いてることのもう1つの共通点に「すべて成り行きでやってきた」というのがあります。
それは憧れじゃなくて、目的意識じゃなくて、「なんかいつの間にかやってた」という感覚です。
個人サイトはブログサービスを転々としてたら最終的に行き着いた場所です。
音楽素材はせっかく曲を作ってるなら配布しようとしたのがきっかけです。
写真素材はその曲のジャケットを配布し始めたのがきっかけです。
雑記ブログはそれらの宣伝のために書き始めたらエッセイ調で落ち着いた経緯です。
どれも「これをしよう」と意気込んで始めたわけじゃなかったんですよね。
逆に意気込んで始めたことはことごとく続かなくて。
もしかしたら本当に自分に向いてることって、憧れずとも自然とやっていけるものなのかもしれないです。
逆に憧れることほど自分にとって遠い存在で、だからこそ挑戦とともに挫折を生むのかなと。
続けられることは自分から見つけに行くものではなく、自然と出会うものなのかもですね。
「物事の続け方」というよりも
大事なのは「物事の続け方」という小手先のテクニックじゃないのかもです。
心が求める方向に流れていく。時にそれに身を任せる。
なんだかんだそれが一番確実です。
逆に向いてないこと、さしてやりたくないことは、どう頑張っても続かないです。
それはそんなものだと割り切ることも大切でしょう。
そういう事ほど、いざ冷めてしまえば何とも思わないですから。
最後に
幾度となく挫折を繰り返してきたからこそ書ける、物事の続け方でした。
ご覧頂きありがとうございます。
カテゴリ『日記・雑記』の記事
秋の肌寒い日、ココア片手に音楽を流す至福
クリスマスになるといつも感じる冬の楽しみ
春夏秋冬、それぞれ四季の楽しみ方を見つけた【季節の楽しみ】
公園で1人ピクニックしてみた話