SNS世代だけどドーパミン中毒には絶対になれないなぁ【ドパガキっていうけど】
なんか最近引っ掛かってる言葉があります。
ショート動画とかの短時間の強い快感に慣れ過ぎて、常に刺激を求めたり集中力が続かない若年層…ねぇ…
若い頃から…いやまだ若者だけど、10代頃から変わりなく私とは真逆の言葉だなぁと思います。
刺激の一つも求められない人間が「コンテンツによる快感」について色々語ってみます。
コンテンツによる快感
私はコンテンツ、さらには日常生活の中でも、刺激というのを一切求めていません。
10代頃にどん底に落ちた時期があって、そのあたりから「楽しい」「嬉しい」「悲しい」「怒り」どれに対しても疲れを感じるようになったんです。
喜怒哀楽を求めない、ただ平穏無事と安心だけを求める人生。
まあそれも悪くない、むしろ幸せです。何もない幸せを噛みしめてます。
娯楽との向き合い方も例外ではなく、一時の快楽というのを本当に求めなくなりました。
動画やSNS、ゲーム、テレビなんかでも、その高揚感そのものに疲労を感じ、やめた後には一気に虚無感。
この感覚に嫌気がさして、ほとんどのそういった娯楽から離れました。
SNS疲れでSNSをやめた今は活動拠点もネットサーフィンももっぱら個人サイト。
個人サイトは次々行き交う人も情報も、つきまとう数字もない。
この静かで緩やかな空間が性に合ってるようです。
動画サイトもYouTubeで流すのはMVだけ。
おすすめ欄が音楽だけになるように気を付けてます。
ブログネタのためにゲームをやることはあるけど、やっぱり高揚感がつらいです。
やるとどうしても疲れてしまうので、ブログネタのためでない、純粋な遊びとしては距離を置いてます。
こういった強い刺激を感じてる最中のなんというか…心が揺れ動く感覚、揺さぶられる感覚、これがどうも苦手みたいなんです。
コンテンツによる安心
逆に安心や安定を感じる娯楽は好きです。
音楽鑑賞とかそうですね。
音楽を聴いてる時は幸福感、高揚感、安心感、あらゆる快感が押し寄せてくるようでもあります。
しかしそこに惰性や依存性はなく、活力だけ残して自然と日常に戻れる、前向きな幸福感です。
特に好みであるバラードやゆったりした曲、ピアノ曲なんかを聴いた後に残る穏やかな気持ち、心地よい安心感が癖になります。
ネットサーフィンも個人サイトやブログ巡りは好きです。
個人サイトやブログは載っている情報は限られてるし、リアルタイム性も低いし、人も管理人主体でコメント欄があるくらいなので多くありません。
SNSで次々情報が流れてくる時の惰性じゃなくて、その人のコンテンツにじっくり触れて共感できる、有意義な時間を過ごせるのが良いところです。
こういった安心できる娯楽は楽しんだ後に心がじんわり温まるような感覚を抱くんです。
この感覚はなんか癖になるし好きで、こればかりはやめられずにいます。
そんな自分は
そんな自分ですが常に強い刺激を求める状態とは無縁だし、集中力もある…集中力だけはあります。むしろ何時間でも夢中になりすぎるタイプ。
この言葉とはあまりに無縁で、正直今の世の中がそうなってることに驚いてるんです。
そんなに快楽を浴び続けてなんで疲れないのかな、嫌にならないのかな、とか思ってるくらいです…^^;
個人サイトに引きこもって個人サイトを巡り、バラードやゆったりした曲を聴いて過ごす。
たまに散歩とガーデニングで花を愛で、心身を動かす。
私にはこれくらいがちょうどいいようです。
俗に言うドーパミン中毒には絶対になれなさそうです。
最後に
最近流行りの言葉について書いてみました。
ちなみに記事中では一言も発してないですが、誰かを揶揄する言葉は本当は使いたくないし、そんな意図もありません。
しかし記事にしたかったのは、何かが引っ掛かってるからなんだと思います。
それは「刺激」そのものへの抵抗なのかもしれないし、自分とかけ離れ過ぎた言葉への違和感なのかもしれないし…正直自分でもはっきりしないですが…
記事を書くことでこの引っ掛かりをどうにか言葉にしたかったんだと思います。
では。
ご覧頂きありがとうございます。
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