不完全なブログ運営や記事のブレってそんなに悪いことなのだろうか
当ブログのちょっと過去の記事を読み返して思いました…
結構テイストや記事内容にブレがあるなと。
基本的にはポジティブな結論を出すことを意識しているのですが、たまに内容が重くなっちゃうときもありますね。
でも今になって、そういうブログ記事のブレや揺らぎがそんなに悪いことなのだろうかと思うようになったんです。
完璧でありたかった過去
一時期…というかサイト歴のほとんどの時期は「完璧なサイト運営」に囚われてました。
角が立たず、誰も不快にさせず、矛盾も重複もなく、誰しもが納得するような…
目指す「完璧さ」、でも実際に心の奥で目指してたのは「当たり障りなさ」だったのかもしれません。
その根底にある感情は「傷つきたくない」だったんだと思います。
ブレや揺らぎの部分に触れられるのは、コンプレックスを刺激されたかのようなショックを受けますから。
でも最近コメントをオフにして、そうなるリスクが格段に減って、冷静になって思ったんです。
「ブレや揺らぎのある運営ってそんなに悪いことなのだろうか?」と。
揺らぎのある運営
今こうして過去記事を読み返して思ったのが、どんなに意識していても絶対にブレや揺らぎは生まれるということです。
書いた当時は完璧だと思って投稿した記事でも、時間を置いて見返してみれば思ってたほど完璧さなんてないものだったりします。
でも逆にそれが人間味であり、個人ブログの醍醐味なのではないかとも思ったんです。
そう思うのには理由があって、私自身他の方のブログをよく読むのですが、筆者が自己評価してるほど悪い記事だったなんて経験、ないんです。
時にネガティブだったり、論点がブレたり、矛盾があったり、主張の重複があったり…
そんなこともあるものですが、読み手からしてみればそれが人間味であり、その人らしさであり、味や個性だったりします。
そんな不完全さにむしろ惹かれ、色んなブログを好きになってきたものです。
沢山共感頂いたこと
では逆に私のブログがAIが書いたような抜け目も矛盾もない、完璧な文章だったとしたら、色んな感想を頂くこと、共感頂くことはあったのでしょうか。
それは多分なかったと思います。
人は人の心や不完全さ、揺らぎの部分に惹かれるものだと思うんです。
私自身もそんなものに沢山惹かれてきました。
上手くいかないながらも、苦しみながらも、必死に足掻いてきたその過程、生々しいくらいの体験談に、共感するし、境遇が近いほどときめくんです。
ブレて、揺らいで、不完全だからこその個人ブログだし、そこにファンは生まれます。
だから個人のブログが完璧で当たり障りなくある必要性は全くないなと思いました。
あまりに気になるのであれば
ちなみにあまりに傷つくのが怖いのであれば、コメントオフを検討してもいいかもしれません。気持ちは結構楽になります。
一方である程度ブログが伸びればご覧頂く機会は増えるし、記事に関するメールでのお問い合わせが来ることもあるし、思ったよりコメントがもらえないことへの寂しさはなかったです。
反応手段があることで窮屈な思いをするくらいなら、外してしまうのも手です。
最後に
不完全なブログ運営、記事のブレや揺らぎについて書いてみました。
ご覧いただきありがとうございます。
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