AIとの会話が苦手なのかもしれない。質問するだけで疲れた話

前回の記事でYouTubeの質問するボタンについて書いてみました。
質問するとAIが動画の内容を要約してくれる機能で、音楽の歌詞の解釈まで教えてくれる便利なものです。
しかしこれの使用後、なんか疲れがどっと出たことに気づきました。
多分私はAIと会話するのが苦手なのだと思ったのでそんなお話。
AIとの会話に疲れる
AIの回答は分かりやすいし、筋も通ってるのですが、なんかやっぱり特有の「温度のなさ」を感じます。
淡々としていて、当たり障りなくて、似たり寄ったり。
人間のような感情に基づいた回答はできなくて、そのブレのようなものもない。
最初こそ面白かったですが次第に飽きるような感覚を抱きました。
やっぱり普段、人の文章や会話には「感情」「ブレ」のような部分に安心を覚えてるのだと思います。
AIの回答は情報だけは詰め込まれてるけど、感じ取れる感情はなくて、その密度が高くも空虚な空間に疲れてしまった気がします。
また、AIチャットを初めて使った時に覚えたのが「どう返されるか不安で自分の言葉で質問できない」という感覚です。
これは私が普段人の顔色を伺いがちだからなんでしょうかね…
相手の機嫌を見て対応を予測すること、話の流れからおおむね会話の筋道が見えてくること、人の会話特有のそういうものがなくて、どんな言葉で返ってくるのか怖く感じちゃったんです。
「感じ取れる感情がない」「会話の予測ができない不安」
これが私がAIとの会話に感じた違和感です。
だから距離を置いてるのかも
AIツールがここまで普及した中で、私はそういうものから距離を置いてきました。
創作活動のサポート的に使うことはありますが…(歌唱とかAIですし)
多分この人間味がないことへの違和感が苦手で、手を出し切れずにいたんだと思います。
でもAIが使えないから不自由するということも特にないんですよね。
このことから、AIはメインでのめり込むものというより、使える人にとっては活動の補助的に活用できるものなのかなと思いました。
おまけ:作品制作におけるAI
余談、作品作りにおけるAIの話。
私の創作活動では歌唱など一部の補助的な使い方としてAIを活用することがありますが、作品作り自体はすべて手でやってます。(というか歌唱ソフトはAIというよりボカロに近い位置づけですよね)
作詞作曲編曲も写真撮影もブログ記事執筆も、元から生成AIを使うことはないです。
だから作品作り自体に生成AIを使うのが、ちょっと不思議なような、新鮮なような感覚を覚えます。
私の場合小さい頃から創作活動するのが当たり前で、自分の手で作ることに負担も手間も感じてないんですよね。
AIに時短とか量産とかメリットがあったとしても、それは私が求めてるものではないし、第一楽曲量産しろと言われれば自分の手でも十分できますし…
曲でも記事でもなんでも、制作スピードだけは早いんですよ…笑
私がAIで生成する意味はまったくなくて、AIクリエイターとは別世界の活動なように感じるんです。
最後に
AIツールについて色々考えてみました。
AIは便利だけど、相性と節度みたいなのはあるよなーって思いました。
では。
ご覧いただきありがとうございます。
カテゴリ『日記・雑記』の記事
外食はできるけどカフェだけは…カフェでの飲食が苦手な理由
タブレットPCで創作活動を続ける理由と実際の性能
私が緑茶が好きな理由。苦いのも美味しい不思議な飲み物
2月・5月・8月・11月は春夏秋冬どれ?季節の区切りはいつから?